『なければ創ればいい!重症児デイからはじめよう!』

子どもを抱き上げる
 今回ご紹介する本は『なければ創ればいい!重症児デイからはじめよう!』です。
 重症児という言葉から、障害の重いお子さまだということは何となくイメージできるかと思います。

『なければ創ればいい!』によると、一般社団法人全国重症児者デイサービス・ネットワークでは、重症心身障害児に加え、身体・知的障害がほとんどなくても医療的ケアが必要なお子さまも含めて『重症児者・重症児』と呼称しているそうです。
 また、重症心身障害児とは「重度の知的障害及び重度の肢体不自由が重複している児童(児童福祉法第72)」と規定されています。

『なければ創ればいい!』の本を読むと、重症児を持つ親御さまが預け先に苦慮する……という内容が書かれています。
 一体、なぜなのでしょうか?

・重症児を安心して預けられる先が少ない現状

 厚生労働省のガイドラインによると、障害児支援の基本理念として、障害のある子どもの利益の保障や家族支援の重視等が掲げられています。
 このような国の施策により、各学校に特別支援学級があり、専任の先生が在籍されています。また、授業終了後や学校の休業日に通う放課後等デイサービス、小学校就学前のお子さまが通う児童発達支援センター等もあります。

 しかし重症児は、日常的なサポートに加え、医療的なケアも必要となってきます。
 そのため、重症児デイサービスには重症児支援に精通したスタッフが欠かせず、これが、預け先が少ないという原因の一つとなっているように思えます。

・重症児がいるからと、社会とのかかわりを諦める?

『なければ創ればいい!』には、重症児を抱えた親御さま自らが重症児デイサービスを立ち上げる体験談がたくさん書かれています。そのなかで、こんな一文があります。

復職すべく保育所も探したが、相談に行った区の担当者には「お母さん、まさか働くの?障害のある子どもがいるのに」といわれた。*『なければ創ればいい!』参照

 正直、私もそんな思いがふと過ぎりましたが、すぐに改めました。
 これが両親の介護だったら、どうなのでしょうか?区の担当者が言うような言葉は出てこないと思います。
 子どもと大人は違うと考えますか?私はそうは思いません。
 確かに、子どもは守るべき尊い存在です。ですが、それは両親だけではなく、社会全体で守るべきだと思うのです。これは、高齢者や心身の障害により日常生活の営みが困難な人を援助する介護と同じです。

 当然ながら、重症児のご両親は皆さん、お子さまをとても愛していらっしゃいます。
 ただ、健常のお子さま以上に、その子の将来に不安を感じていたり、ご両親自身の社会とのかかわりを諦めてしまったり、ということがあるようです。

 重症児の預け先がないからと、その子のお世話だけをするご両親の姿を、当事者であるお子さまは望むのでしょうか?

手をつなぐ家族

・望むものがないのであれば、自分たちで創ればいい!

 一般社団法人全国重症児者デイサービス・ネットワーク代表理事の鈴木由夫さんは、重症児者の地域生活をめざし「なければ創ればいい」と提唱しています。

 重症児支援の経験がないスタッフが最初は困難なオムツ交換も、いつも行っているご両親にとっては簡単なことです。つまり、ご両親はすでにベテランスタッフなのです。
 そのご両親が望む施設を自ら創り、運営すれば、お子さまの預け先を確保するだけではなく、ご両親の雇用にもつながる……という考え方なのです。
 ちなみに『なければ創ればいい!』には、重症児デイサービスの立ち上げに関しても記載されています。

 この「なければ創ればいい」という鈴木さんの考え方は、重症児デイサービスに限った話ではないと思います。
 日々の生活の中で、現状に不満や不安を持ったとき、それをただ受け入れるだけなのか、状況を打開する方法を模索するのか、そういったヒントがこの『なければ創ればいい!』には書かれていると思いました。